kaorunのプロフィール




初めまして!アラフィフでお一人様、「真っ直ぐにしなやかに私らしく生きるためのブログ」運営者のkaorunです。


プロフィールにお越しいただきまして、ありがとうございます(^-^)


まず簡単に、私の自己紹介をさせていただきますね。

  • 住んでいる所:大阪府の南、泉州で独り暮らし
  • 家族:両親と2歳下の妹で4人家族
  • 仕事:事務や保険会社の営業、そして花屋さんや工場など、たくさん経験を積ませていただきました
  • 好きなこと:美味しいものを食べること。パワースポットや神社に行くこと。ヨガ
  • いて座のB型:周りから「分かりやすい性格」とよく言われます(≧◇≦)



性格は、

  • のんびり屋
  • これと決めたら突っ走る
  • おっちょこちょい
  • 人に甘えるのが下手
  • 悩む割に、寝ると忘れる楽天家



「真っ直ぐにしなやかに私らしく生きるためのブログ」へお越しくださり、プロフィールにまで足を運んで下さり本当に嬉しいです。この出会いに感謝いたします(*^-^*)


せっかくですので、もう少し私のことを知っていただけるとありがたいな~なんて。。

私がこのブログを始めた理由についてお話いたしますね♪

このブログを始めた理由




私がこのブログを始めたのは、40歳を超えたアラフォーの時でした。

趣味や習い事もしていなかった私の休日は、

  • 朝はのんびりと起きて、掃除と洗濯
  • 終わったら、ゴロゴロしながら録画を見る



両親には月に1回お出掛けに連れて行ってもらったり、仕事帰りに寄っておかずを頂いたりと、甘えさせてもらっていました。


子供の頃から、内気だった私は周りの意見に流されてしまうことが多く、自分の気持や意見を言うことはほとんどなかったですね~。不満があっても言っても仕方がないと、諦めてしまっていたんです。


大人になっても、自分のきもちや意見を言うことをしてこなかった私は、自分の気持や考えていることが分からない。

仕事で意見を求められても、一般的なことしか言えなくて、周りにどう思われるかが気になってしまうようになったんです。


つまらない人間だと思われていたらどうしよう‥


そればかりが気になってしまい、周りとのコミュニケーションもギクシャク。


「このままでは、ダメだ!自分を変える何かをしたい!」


自分を変えるために、NLPという実践心理学を学びに行き、甘えていた両親からも自立を決めて離れました。


それからの私は、「一度きりしかない自分の人生をもっと楽しもう!」と自分の好きなことを探す毎日を送っています。

  • 美味しいものを食べる
  • 行きたかった所に行ってみる
  • 身体を動かす習い事をする
  • 本を読む



と楽しむために私が体験したことを、書いていきたいと思ったんです。


楽しみ方は人それぞれなので、あなたとピッタリ合う楽しみ方があったらとても嬉しいですし、まだ私が知らない楽しみを教えていただけたら感激です。


次は、私の今までのストーリーをお伝えいたしますね。

kaorunのアラフィフまでのストーリー(ざっくりです)




大阪で生まれた私は、神戸の東灘区で小学校5年生まで過ごし、父の仕事の関係で大阪府の南にある泉州地区へ引っ越しました。


その頃の泉州では、方言がまだ盛んに話されていて、ビックリしたのを覚えています。

特に印象的だったのは、美味しくない → ももない


「もう、ももないって何~(≧◇≦)」


なんてビックリしながらも、数か月たつ頃にはすっかり「ももない」なんて言ってましたっけ(*^-^*)


そして、明石家さんまさんが「そやんけ!ほんまやんけ!」と言葉の最後に「」を付けて話されていますが、泉州でも「」を付けて話すんです。


地元の高校を卒業して、大阪の会社に就職してからは言葉にかなりツッコミを入れられました~(;^ω^)

私の結婚歴について




私が1度目の結婚をしたのは21歳の時。就職した会社の同僚と、子供が出来たことを機に結婚しました。


2歳違い2人目となる男の子を授かったのですが‥結婚7年目に離婚。


子供たちは、旦那さんと旦那さんのご両親が育てて下さっています。2人とも成人していますが、幸せな人生を送っていることを願う毎日です。


離婚して子供と会えないと分かっていても、せめて同じ土地で居たい私のワガママで奈良で独り暮らしをしていました。


離婚する前から始めた保険会社の仕事が奈良だったんです。実家には少しの間だけお世話になり、仕事を理由に直ぐに出ていきました。やっぱり、気まずさがあるんですよね(;´∀`)


奈良で一人暮らしを始めて2年後、派遣で事務や工場で交代勤務をして働いていました。

30代の頃 2回目の結婚とその後



2回目の結婚は、派遣先で知り合った人でした。心機一転、寮があった長野の工場に移り、夜勤をしていました。


なのに‥またも残念ながら、1年も経たないうちに離婚。


離婚後は、長野を離れ三重県の鳥羽のホテルで中居を、期間限定で6か月しました。寮に住みながら必死にお金を貯め、期間終了後に奈良に戻りました。

2回目の離婚後から現在

奈良に戻ってからは、派遣で日勤と夜勤の交代勤務の工場で働きました。残業も多かったので、12時間近く働くこともあり稼がせて貰えました!ホントにありがたかったです。


その時の私は、34歳。工場で働いている人は、男性がほとんどで、女性は20代もしくはパートで長く働かれているベテランさん


アラフォーを目前にして、減っていく体力と若さに、いつまで交代勤務が出来るんだろう?と考え始めるように。。

  • このままずっと、派遣社員で良いのかな?
  • 安定した収入と、長く働ける仕事をしたい。



正社員で働きたい!定年まで働くなら、事務の方が良いんじゃないかな?


そう考えてから1年間、休日には豆腐工場でバイトをし貯まったお金で、奈良から大阪市内に引っ越しました。


派遣で事務系の仕事をしてお金を貯め、引っ越し出来るお金が貯まった1年後、36歳のときに地元に戻りました。


地元で見つけた工場で、中途採用していただき念願の正社員になるまで1年。女性が多く年代も近いので、仲がいい部分と野心が見え隠れする、そんな職場でした。

働き始めてから両親と頻繁に会うように




職場が両親の家から近いこともあって、

  • 「野菜や果物を買ったから帰りに寄って~」
  • 「おかず作ってあるから帰りに取りに寄って~」


  • なんて、頻繁に母親から連絡が入るようになりました。

    • 身体を心配して、仕事で疲れているから家に帰ったら直ぐに食べて眠れるように
    • お金を使わなくてすむように、野菜や果物を分けてくれる



    母の心遣いにありがたいと感謝しているのに、「別にいいのにな~」と困惑する自分もいたんです。

    • 私はお給料を頂いているのに、両親から食べ物を分けてもらっているという申し訳ない気持ち
    • 母は、私への料理を義務感で作っていないだろうか?という不安



    「このままでいいんだろうか?」


    仕事でも、責任ある内容を任されることが増えていました。

    なのに自分の意見を言うことが出来ず、会議に出席するのが段々と苦痛になっていたのです。


    その頃から周りの目を気にするようになり、会話をしてもギクシャクするようになってしまいました。


    「このままじゃダメだ!変わりたい!自分という人間を知って楽しみたい!」


    ようやく重い腰を上げた私は、42歳の時に、両親から自立をすることを決めて、離れました。


    自分を知るために、そして楽しむために体験したことや気付いた部分、凹んだことや失敗したことなどをこのブログでお伝えしています。


    変わりたい!その思いだけで進んできたこれまで、そしてこれからも進んでいきます。


    私のサイトがあなたのヒントに繋がったら、嬉しいです。


    コメントや質問などございましたら、ぜひご連絡下さい!
    直ぐにお返事が出来ないかも知れませんが、必ず拝見させていただきます。(*^-^*)